六角精児さんは兵庫県出身の俳優。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴、離婚歴があるようですが結婚回数や妻は?
子供は何人?
今回は俳優の六角精児さんをリサーチしてみました。
六角精児の学歴・生い立ち・経歴
名前 六角精児
生年月日 1962年6月24日
出身 兵庫県
身長 175cm
所属 舞プロモーション
小学校・相模原市立上鶴間小学校
中学校・相模原市立上鶴間中学校
高校・厚木高校
大学・学習院大学
兵庫県姫路市で生まれ、幼少期を兵庫県高砂市で育ち、小学生の時に神奈川県相模市に引越しました。
本名は山地克明(やまじ かつあき)
父親は歴史研究家の山地悠一郎さん。
兄弟は5歳年上の姉。
小学校は相模原市立上鶴間小学校、中学校は相模原市立上鶴間中学校を卒業。
母親はとても教育熱心で、六角精児さん子供の頃から、
『いい大学、いい会社に入って、世の中の敗者になるな』
と言われ続け、テストは80点以上取らないと怒られたといいます。
『勉強は大事!』と言われるたびに納得するわけでも、反発するわけでもなく、『そうなのかなぁ…』とぼんやりと思っていたそうです。
勉強するようになったは小学5年生からで、素敵な先生に出会い頑張ってみようと思って勉強をするようになりました。
中学生の時にはフォークギターが欲しかったそうですが、母親はフォークは不良だからと買ってくれず、代わりにクラシックギターを買ってくれたそうです。
『中学時代は、何も思い出せないほど、面白くなかった。記憶にあるのは、ラジオを通して大好きになった洋楽を聴いていたことと、学校で誰からも相手にされなかった思い出だけ。』
引用 https://dot.asahi.com/
中学では大好きだった小学校の先生と別れ、勉強するのもつらくなったそうです。
高校は厚木高校を卒業。
厚木高校は神奈川県厚木市にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は70。
神奈川県ではトップ10に入る進学校です。
高校では演劇部に所属。
『勉強だけでなく趣味とか価値観に対する思考レベルが高い人たちが、ものすごく多かったんです。その仲間たちからは、いろんな刺激を受けました。』
引用 https://dot.asahi.com/
高校時代は中学時代と違いいい友人との出会いに恵まれたといいます。
ロックバンドも組んで担当はベースでした。
大学は1年の浪人を経て学習院大学経済学部に進学。
経済学部の偏差値は60。
大学ではやりたいことがあるわけではなく、2年目以降はほとんど通わず、毎日のように麻雀とパチンコをしていたそうです。
ギャンブルで学生ローンが80万円ぐらいあったこともあったといいます。
大学には6年在籍し中退しました。
六角精児が俳優になったっきっかけ
六角精児さんが俳優になったのは高校の時に演劇部に入り、そこで後に演出家になり劇団を主宰する1年先輩の横内謙介さんに出会ったことがきっかけでした。
『キャスティングされなければ、幽霊部員みたいになれるでしょう。そんな生活をしたかったのです、存在の薄い。』
引用 https://news.1242.com/
高校で部活に入らなければいけなかったそうで、たまたま誘われた演劇部に入ったそうです。
演劇には興味がなく中学の時にも演劇部があり見たことがあったそうですが、
『あれをやる人の気持ちがわからない』
と話しています。
幽霊部員になるつもりでしたがキャスティングされていまい、出演した舞台が演劇コンクールの全国大会まで進出。
そのため、演劇部にずっと在籍し、
『観客の前に立つというドキドキする思いが嫌いじゃなかった』
と話す一方で
『早く終わらないかな』
と思っていたそうです。
1962年、大学在籍中の20歳の頃、演劇部の先輩の横内謙介さんが中心となり劇団『善人会議』を旗揚げ。
六角精児さんも誘われて入団。
この頃に横内謙介さんに『六角精児』の芸名を付けられました。
劇団は1993年に『扉座』に改称されています。
六角精児 ギャンブルで借金
学生時代にギャンブルで学生ローンに借金があった六角精児さんですが、その後も借金を増えていきました。
一時期は収入の80%をギャンブルに使い、借金は最高で1000万円近くもあったといます。
40歳前後には食べることにも困るようになり、少し残っていた米と560円で2週間生活したこともあったそうです。
六角精児 相棒がきっかけでブレイク
六角精児さんがテレビ朝日の『相棒』にで初めて出演したのは2000年6月放送のpre season 第1話でした。
この時は鑑識課・米沢守ではなく、米沢監察医役でした。
この役は米沢守とは別人の設定です。
オファーの段階では犯人の役か監察医の役かどちらか決まってなく、マネージャーが犯人は1回の出演だけですが、観察医ならシリーズになったら役が続く可能性があるので観察医役を選んだそうです。
その選択は正しく、続編が制作され2作目から鑑識課の米沢守役になりました。
米沢守役は人気になり2009年3月には主演映画『相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿』が公開されました。
興行収入は7.7億円でした。
相棒で知名度を上げ、2005年7月からフジテレビ系の『電車男』に牛島 貞雄役で出演。
この頃からドラマのオファー増え、2004年、2005年は2本でしたが2006年には11本、2007年にも6本に出演し、借金の全額返済に成功しています。
六角精児の結婚歴はや妻は?
六角精児さんの結婚歴は4回、離婚歴は3回。
最初の結婚は1991年。
29歳の頃でした。
相手は演劇仲間の女性でした。
離婚したのは2年後1993年。
旅公演から家に帰ってみると、部屋には家具も荷物もなく妻も居なくなっていたそうです。
2番目の妻と結婚したのは1997年。
35歳の頃でした。
妻は劇団の研究生。
5年後の2002年頃に2番目の妻も出て行ったそうです。
3人目の妻と結婚したのは2003年。
41歳の頃でした。
妻は講師を務めていた専門学校の生徒だった20歳年下の女性。
2年の2005年頃に離婚。
出産のために里帰りしそのまま帰ってこなかったそうです。
すべての離婚の原因はギャンブルか借金のようです。
4回目の結婚は2011年。
49歳の頃でした
相手は2番目の妻。
たまたま会って食事をして、また付き合い始めて再婚したそうです。
六角精児の子供は何人?
六角精児さんの子供は1人のようです。
3番目の妻が妊娠し出産のために里帰りしたまま帰えらず離婚しましたが、3番目の妻との子供は息子の情報がありました。
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