橋本マナミの結婚した旦那や子供の性別、実家や高校などの学歴や経歴

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『国民の愛人』のキャッしフレーズで知られる元グラビアアイドルで女優の橋本マナミさん。

このキャッチフレーズになった理由は?

結婚したようですが、旦那はどんな方で馴れ初めは?

子供の性別は?

実家は金持ち?

今回は女優の橋本マナミさんをリサーチしてみました。

橋本マナミの結婚した旦那

橋本マナミさんが結婚したのは2019年11月の35歳のとき。

旦那は医師の男性。

年齢は橋本マナミさんの1歳年下。

橋本マナミさんと旦那の馴れ初め・出会いは同窓会的なイベント。

橋本マナミさんはクリスマスに毎年、高校の同級生の独身男女数人に呼び掛け『さびしんぼの会』と呼ぶ同窓会的なイベントを開催していたそうです。

橋本マナミさんと旦那が出会ったのは2017年に開催されたイベントで芸能人は橋本マナミさんだけ、旦那は橋本マナミさんの友人にに連れられて初めての参加だったそうです。

橋本マナミさんは旦那の第一印象は、

『みんな騒いでいても一人だけ静かにほほ笑んでいる感じだったのですごく誠実そうな雰囲気がよかったです』

アプローチは旦那からで、最初の出会いから2週間後に食事に行き、その時に『結婚を前提に付き合ってください』と告白されたそうです。

交際期間は2年弱で、その内1年は同棲していたと明かしています。

橋本マナミの子供の性別

橋本マナミさんは2020年7月に子供を出産。

子供の性別は男の子です。

予定日より早い出産だったそうですが、『スーパー安産でした』と話しています。

橋本マナミさんは出産の3週間後にリモートの出演でしたが仕事に復帰しました。

橋本マナミの実家は金持ち?

橋本マナミさんは『実家』で多く検索されているようです。

『宝くじ』『金持ち』のキーワードと多く検索されてもいます。

橋本マナミさんの実家について調べてみると、実家を宝くじの賞金で建て替えたと橋本マナミさんが話したことで『実家』で検索されているようす。

2014年に橋本マナミさんが日本テレビ系『ダウンタウンDX』出演した際に話したことが理由です。

宝くじが当たったのは橋本マナミさんが10歳のころ。

宝くじを当てたのは父親で、その当選金はなんと『1億円』。

しかし、父親も母親も当時は宝くじが当たったことは話さなかったといいます。

ただ、当時、家を建て替えたり、車を買い替えたりと急に羽振りがよくなったそうです。

20年経ち、て1億円を使い切ったあとに、橋本マナミさんはその事実を聞かされたと話しています。

『金持ち』で検索されているのも、このことが理由のだと思われます。

橋本マナミの高校などの学歴や経歴

橋本マナミさんは1984年8月8日生まれ。

山形県山形市出身。

父親は会社員。

母親はハウスクリーニングの会社を経営。

兄弟は1歳年下の弟。

橋本マナミさんは子供の頃は引っ込み思案で人前に出るのが苦手だったそうですが、身体は大きく、小学6年生のときには160cm以上あったといいます。

そんな橋本マナミさんが人前に出ることが好きになったのは小学6年生のとき。

担任の先生が『背が高いのだから』と学級委員長や音楽会の指揮者、聖火ランナーなどどいろいろな役に推薦してくれ目立つこと経験し、それが快感になってしまったと話しています。

芸能界に入りたいとおもったきっかけは、フジテレビ系ドラマ『ひとつ屋根の下』。

橋本マナミさんは『ひとつ屋根の下』が好きで、末っ子になりたかったそうで、芸能界に入れば出られると思ったそうです。

1997年、中学1年生のとき、『第7回全日本国民的美少女コンテスト』に応募。

演技部門賞を受賞し芸能界入りし、オスカープロモーションに所属しました。

当初名乗っていたのは本名の『細川愛実』でしたが、同じオスカープロモーションの先輩・細川直美さんと混同されやすいため、母親の旧姓の『橋本愛実』にしたそうです。

中学は山形市立第五中学校

高校は山形城北女子高校に入学。

山形城北女子高校は山形市にある私立の女子高でしたが、2002年に共学になっています。

偏差値は58

中学、高校時代はバスケットボール部に所属。

芸能界に入って最初の仕事は、ヤマザキナビスコ「ビッツサンド」のCM。

当初は山形県から東京に通っていましたが、高校2年生の1月に、上京し堀越高校に編入し同校を卒業しました。

大学には進学ししていません。

堀越高校の同級生には生田斗真さんがいたそうです。

生田斗真さんは2019年11月に日本テレビ系『おしゃれイズム』に出演した際に、同級生だった橋本マナミさんについて、

『めちゃめちゃ大人しかったんですよ。だから“愛人キャラ”で出てきたとき衝撃的で、「えーーーっ!おまえがーーっ!?」っていうのがありました』

橋本マナミさんはデビュー後、グラビア中心に活動しますが売れず、ドラマも出演しますが端役で、真冬の海で水死体の役など辛い仕事もあったといいます。

橋本マナミが『国民の愛人』になった理由

橋本マナミさんは2012年にオスカープロモーションからアービングに移籍。

芸名はこのとき『橋本マナミ』に変更しています。

20代半ばまでは清純派路線で活動していましたが、30歳になるころにセクシーグラビアの仕事を開始。

割り切ってやったところ大きな反響があり、それが嬉しくて、自信にもなったと話します。

橋本マナミさんの『国民の愛人』『愛人にしたい女No.1』のキャッチフレーズが決まったのもこのころだといいます。

橋本マナミさんは『お嫁さんにしたい№1』になりたかったそうで、事務所の人に話したところ

『30歳だし、脱ぎすぎているからお嫁さんにしたい№1にはなれないよ。』

と言われ、それで本命よりは2番手といった感じの愛人がいいんじゃないかっていうことになったそうです。

橋本マナミさんのブレイクのきっかけは2014年に10年ぶりに出した写真集。

『昨年(2014年)の5月に10年ぶりに出しまして、それからたくさんお仕事をいただくようになりました。』

引用 https://www.advertimes.com/

デビューから苦節18年目でのブレイクでした。

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